岩手県の沿岸最北にある洋野町(ひろのちょう)
浸水災害ゼロの、普代村より北になり岩手の最北端です。
当時の記事から(2011年4月)引用
【被害状況】
・死者 なし
・負傷者 なし
・行方不明者 なし
・建物被害(住家)
全壊 10棟
半壊 16棟
一部破損 1棟
床下浸水 7棟
・船舶
流出及び破損 277隻
・その他
大浜川鉄橋流失、漁港施設損壊、防波堤損壊、道路冠水、
定置網流出、養殖アワビ流失、さけふ化場流出、八木魚市場全壊など
・被害額(公共施設以外の被害も含む)
漁業関係 27.2億
土木関係 0.9億
農林関係 2.1億
その他 2.7億
計 32.9億
それでも死者・行方不明者がゼロだった?
高さ12mの防潮堤が津波を大幅に減衰させたため住宅地区の多くには被害が及ばず、八木地区を中心に海に近い民家が損壊したものの
死傷者、行方不明者が発生していない。
救ったのは防潮堤
今回、洋野町を救ったのは防潮堤でありコンクリートである。
コンクリートによって多くの命が救われたのは事実であります。
しかし、八木地区は防潮堤はないが!
八木地区は数々の津波被害に遭ってきたにもかかわず、町内で唯一
防波堤が整備されてない。
同町では昭和三陸津波が襲った3月3日に毎年、早朝に防災訓練を
実施してきた、しかし、参加者が年々減少。消防署が中心となり
2006年から防災訓練の在り方を見直してきた。
住民アンケートを行い、訓練を日曜日の日中に変更。
2007年には消防団員の退避行動、08年には低地に続く町道の道路閉鎖が訓練メニューに加えた。
訓練で「逃げる」
訓練で「逃げる」ことを徹底してきたのに加え、08年以降は各地で設立された自主防災組織の活動が、住民の意識を高めたといいます。
八木北地区の自主防災組織は、高台に上る避難路の除草や整備をしてきた。
避難路の掃除は、逃げる道筋を頭に焼き付けるのに役立ったといいます。
過去を大津波の経験者から、話を聞く場も設けました。
車いすの男性も無事に避難
5年前に交通事故で下半身の自由を失い、自宅で一人暮らしをする日當さん。
11日の地震発生時は近所の理髪店で散髪しており、店員に車に乗せてもらい
急いで避難した。途中、避難所生活が長引くことを想定し、おむつなどを
詰め込んだリュックサックを取りに自宅へ。津波が迫る中、店員に荷物を
取ってきてもらい、避難場所の八木保育園へ到着。その数分後、大津波が襲来し
海沿いの自宅は全壊したという。
つまり、人的被害を出さなかった理由とは
幹事の蔵義浩さん(68)は「かつて津波で多くの犠牲者を出した
八木地区では“逃げるが勝ち”という意識が強い。自主防には全戸が加入し
顔が見える関係を構築したことが、今回の避難で生かされた」と話す。
防潮堤というハードに頼らず、住民の命を守った八木地区の活動。蔵さんは痛感した。
教訓に学び、それを生かす訓練がいかに大切か―と。
やはり訓練が大切ですね。
一部NAVERまとめ引用