みなさんは、ご存知ですか? 5月14日は母の日ですが、父の日はいつ?
6月18日第三日曜日です。
以外とご存じないかも知れませんね。よく聞かれるのは、お祝いしたい気持ちは母の日も父の日も同じなのに、母の日に比べ父の日は忘れてしまうというお話。いったいなぜでしょう。これと言った理由はないと思い ますが,祝日の多い5月に比べ、父の日は忙しい6月の後半に訪れ、また普段お仕事で忙しいお父さんに何してあげたら、何を贈ればいいのかが思いつかない・・・そうしてるうちについ準備を忘れ・・・「結局いつだっけ?」といったとこでしょうか。
母の日は
1913年に青山学院で、母の日礼拝が行われた。アンナ・ジャービスから青山学院にメッセージが届き、当時青山学院にいた女性宣教師たちの熱心な働きかけで、日本で「母の日」が定着していくきっかけとなったとされる。
大日本連合婦人会が1931年(昭和6年)に結成された。その際、同組織は皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(地久節)を「母の日」としたが、普及しなかった。
1937年(昭和12年)5月8日に、第1回「森永母の日大会」(森永母を讃へる会主催、母の日中央委員会協賛)が豊島園で開催された。その後、1949年(昭和24年)ごろからアメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになった。
母の日には、カーネーションなどを贈るのが一般的である。
なお、あまり知られていないが、5月5日のこどもの日は、国民の祝日に関する法律第2条によると「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝すること」が趣旨となっている。
父の日は
1909年にアメリカ・ワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドッド(Sonora Smart Dodd)が、男手1つで自分を育ててくれた父を讃えて、教会の牧師にお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。彼女が幼い頃南北戦争が勃発。父ウィリアムが召集され、彼女を含む子供6人は母親が育てることになるが、母親は過労が元でウィリアムの復員後まもなく亡くなった。以来男手1つで育てられたが、ウィリアムも子供達が皆成人した後、亡くなった。
最初の父の日の祝典は、その翌年の1910年6月19日にスポケーンで行われた。当時すでに母の日が始まっていたため、彼女は父の日もあるべきだと考え、「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まった。
1916年、アメリカ合衆国第28代大統領ウッドロー・ウィルソンは、スポケーンを訪れて父の日の演説を行い、これにより父の日が認知されるようになる。
1966年、アメリカ合衆国第36代大統領リンドン・ジョンソンは、父の日を称賛する大統領告示を発し、6月の第3日曜日を父の日に定めた。1972年になり、アメリカでは正式に国の記念日に制定される。
母の日の花がカーネーションなのに対し、父の日の花はバラ。ソノラ・スマート・ドッドが、父の日に父親の墓前に白いバラを供えたからとされている。1910年の最初の祝典の際には、YMCAの青年が、父を讃えるために、父が健在の者は赤いバラ、亡くなった者は白いバラを身につけたと伝えられる。
国によって異なるんですね。
ということは、生前だけではないということになります。管理人は2歳の時父親を亡くしましたし、母は3年前に85歳で亡くなりましたがこのウィキペディアから行きますと、死後も贈るんですね、今後は墓参りに行こうと思います。
管理人は息子2人、娘1人の3人子供いますが娘は社会に出て仕事するようになってから、毎回欠かさずにプレゼント頂いてます、ありがたいものです。息子は嫁に左右されるでしょうから、殆どありません・・・つか記憶に残るものがないんですね・・・ここだけの話です(笑)。みなさんは、ご存知でお参りされてるかと思いますが、管理人もこれを見てから親の墓石に『父の日・母の日』にプレゼントしたいと思います。
最後までお読み頂きありがとうございます m(__)m。