家に帰り寝ることが出来ました。
次の日(3月12日)
早朝から、会社に行き空いてる発電機を借りて来て
家の電気替わりにして、不足分の電気調達してごはん炊いて
朝食を取りました、これは発電機に家電を直接つながないで
外のコンセントに、つないで家中に電気を流します。
この方法は、ケーブルの雄を両方に付けて発電機と家とつなぎます。
※家の分電盤の元は切らなければなりません!復旧した時大変ですから。
テレビを午前中見て、災害の大きさを知る!
とりあえずは、会社に行きましたけどぉ~!
電気はつかないし、PC はもちろんバッテリーがあるだけ動いてダウン。
当然ネットは繋がらないし、仕事にならないです。
みんなで、「どうしたもんか」・・・って!
被災地同様、我々にも今まで無い経験をすることを
その日は解るはずありませんでした。
買占め
家に帰る途中コンビニエンスに寄って見たら、殆どが売り切れ。
買占めが始まってました”(-“”-)”
家のそばに、米の自動販売機あるんですが、売り切れ・・・”(-“”-)”
初めてのことです、一回もこんなことありませんでしたが。
のちに、ガソリンも列作り買占め・・・必要な分じゃなく
1?でも多く入れようと・・・”(-“”-)” 残念なことですね!
電気はすぐ復旧しましたから、安心でした。
米さえあれば、なんとかご飯は缶詰とかで食べれますからね。
会社は仕事にならないですが、なんかの時の為に待機
私が勤務してるとこは、営業所で管下に県内に数か所あるもんで
宮古にもありましたから、案の定孤立化して、食べ物なし、燃料なし
の出張所があり、大変な状況でした。
緊急車両登録すると、燃料は入れてもらえる情報を入手して
即、数台登録して燃料を入れられる状態を作り、動く手段確保。
次は食料、日常品の確保が必要です、これは業務用のスーパーで
仕入れ、なんか会員料金みたいなの払えば買えました。
これを今度は、配達して困ってる現地に届けなければなりません。
これを出張ごとに、ピストン輸送して現地まで届けました。
なぜか当時は3月にもかかわらづ、寒かったですからね
反射式ストーブは20~30台はおくりました。
これが一週間位続きましたね、それから役所より依頼で沿岸の
道路の瓦礫撤去に作業員をおくりました。
なにせ道路が瓦礫で埋まってるんで、どうしようもないんですね。
道路がないと、何もできない状態ですから。
今日はここまです、つぎのブログでは仮設住宅工事に行くを
記事にしていきます。